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産業保健

産業医とは何をする人か|選任義務・役割と「できること・できないこと」

「産業医を選任したものの、何を相談してよいかわからない」という声は少なくありません。産業医は、形だけ置いておくための存在ではなく、会社と働く人の健康をつなぐ専門職です。本稿では、選任義務、役割、できること・できないことを経営者向けに整理します。

「産業医の先生には毎月来てもらっているけれど、正直なところ何をお願いすればよいのかわからない」。経営者や人事労務の方から、こうした率直な声をうかがうことがあります。法令で決まっているから選任したものの、実際には健康診断の書類に目を通してもらうだけになっている。そのような状況は、決して珍しくありません。

私は形成外科医として、仕事中のけがや労働災害に関係する診療に携わってきました。診察室では「いつ仕事に戻れますか」「元のように働けるでしょうか」と復職を強く気にされる方に、数多く向き合ってきました。傷が閉じることと、職場で以前のように力を発揮できることは、同じではありません。その間を埋める役割の一つを担うのが産業医です。

本稿では「産業医とは何をする人か」という素朴な問いに、経営者・人事労務担当者の立場から答えていきます。

先に結論を述べます。産業医は、病気を診断して治療する医師ではありません。「この人が、この職場で、この仕事を、健康を損なわずに続けられるか」を医学の立場から見立て、事業者に助言する専門職です。主治医が「病気」を診るのに対し、産業医は「働く人と職場の関係」を診ます。この違いを押さえると、何を相談すべきかが自然に見えてきます。

産業医とは何をする人か:主治医との違いから理解する

産業医とは、労働安全衛生法にもとづいて事業者が選任し、働く人の健康管理について専門的な立場から助言・指導を行う医師です。病院やクリニックの医師(主治医)との最も大きな違いは、目的と相手にあります。主治医の目的は、患者さんの病気を診断し、治療することです。産業医の目的は、働く人が健康を保ちながら就業を続けられるよう、職場の環境や働き方を整えることです。そのため、産業医の助言の相手には、本人だけでなく事業者も含まれます。

形成外科の臨床に置き換えてみます。手のけがが治り、診察室で指が動くようになったとします。主治医としては「治療は順調です」と言える段階です。ところが、その方の仕事が重い荷物を扱う作業なのか、細かい精密作業なのか、長時間のパソコン作業なのかによって、職場で必要な配慮は大きく異なります。さらに「また同じ機械を触るのが怖い」「周囲に迷惑をかけないか不安だ」といった心の負担が、回復の歩みを左右することもあります。身体の回復、心の状態、職場の仕組みの三つを重ね合わせて「働き方」を考えるのが、産業医の視点です。

もう一つ大切なのが、産業医の中立性です。産業医は会社から報酬を受けて活動しますが、会社の都合を代弁する立場ではありません。本人の言い分をそのまま会社に伝える代理人でもありません。医学的な根拠にもとづいて、働く人の健康と安全を守るための意見を述べる立場です。この中立性があるからこそ、従業員は安心して相談でき、会社も客観的な判断材料を得ることができます。

産業医の選任義務はどの事業場にあるのか:50人基準と関連する義務

産業医の選任義務は、常時50人以上の労働者を使用する事業場に課されています。ここでいう単位は会社全体ではなく「事業場」です。本社、支店、工場など、場所ごとに人数を数えるのが基本です。また、正社員だけでなく、継続して雇用しているパートタイマーなども人数に含まれ得ます。自社が該当するか迷う場合は、所轄の労働基準監督署や社会保険労務士に確認されることをおすすめします。

50人という基準は、産業医の選任だけでなく、他のいくつかの義務とも連動しています。主なものを整理すると次のとおりです。

項目常時50人以上の事業場常時50人未満の事業場
産業医の選任義務選任義務はない(医師等に健康管理等を行わせるよう努めることが求められる)
衛生委員会の設置義務設置義務はない(関係労働者の意見を聴く機会を設けることが求められる)
ストレスチェックの実施義務現時点では努力義務。法改正により義務化が決まっており、施行は公布から3年以内の予定

衛生委員会とは、職場の健康に関する課題を労使で調査審議する場で、産業医はその構成員の一人です。事業場の規模がさらに大きくなると専属の産業医が必要になるなど、追加の要件も定められています。人数の区切りや選任の期限、届出などの具体的な要件は、最新の法令・通達で確認してください。制度は改正されることがあるため、数年前の知識のまま運用しないことが大切です。

産業医の主な役割:健康診断の事後措置から長時間労働者の面接指導まで

産業医の仕事は多岐にわたります。経営者の目線では、次の五つに整理すると理解しやすくなります。

1. 健康診断結果にもとづく就業上の意見

定期健康診断の結果を確認し、「通常どおり勤務してよい」「残業や夜勤を控えるのが望ましい」「休業が望ましい」といった就業上の意見を述べます。ここで大切なのは、数値の良し悪しそのものではなく、「その状態で、その仕事を続けて安全か」という観点です。たとえば同じ程度の血圧の異常でも、デスクワーク中心の方と、高所作業や運転業務に就く方とでは、求められる配慮が変わります。

2. 長時間労働者などへの面接指導

時間外・休日労働が月80時間を超え、疲労の蓄積が認められる労働者が申し出た場合、医師による面接指導の対象となります。産業医は面接で心身の状態や働き方を確認し、労働時間の短縮や業務調整などについて事業者に意見を述べます。長時間労働は、脳・心臓の疾患だけでなく、メンタルヘルス不調の重要な背景にもなり得ます。

3. ストレスチェックと高ストレス者への対応

ストレスチェック制度では、産業医が実施者として関わることが多くあります。高ストレスと判定され、面接指導が必要とされた方が申し出た場合には、医師による面接指導につながります。個人の結果は、本人の同意なく事業者に提供されないのが原則です。一方で、部署などの集団ごとの分析結果は、職場環境の改善に活かすことができます。

4. 職場巡視と作業環境への助言

産業医は定期的に職場を見て回り、作業姿勢、照明、温度、化学物質の扱い、休憩場所などを確認して改善を助言します。巡視の頻度は法令で定められているため、運用の際は最新の基準を確認してください。けがや労働災害には、設備や手順といった仕組みの見直しで減らせるものが少なくありません。現場を見ることは、予防の出発点です。

5. 休業・復職・両立支援に関する意見

病気やけがで休業した方の職場復帰や、治療を続けながら働く方の就業上の配慮について、医学的な意見を述べます。この役割は後の章で詳しく扱います。

なお、産業医には、労働者の健康を確保するために必要と認めるとき、事業者に対して勧告を行う権限が法律で認められており、事業者には勧告を尊重することが求められています。産業医の意見を「参考程度」と軽く扱わないことが、制度を機能させる前提になります。

産業医に「できること」と「できないこと」を整理する

産業医を十分に活かせていない職場では、役割への期待がずれていることが少なくありません。過大な期待をして戸惑っているか、過小評価して相談していないかのどちらかです。そこで、よくある場面ごとに線引きを整理しました。

場面産業医にできること産業医にはできない・すべきでないこと
体調不良の従業員面談で状態を把握し、受診の必要性や就業上の配慮を助言する診断の確定、薬の処方、継続的な治療(主治医の役割)
休職・復職職場の実情を踏まえ、就業の可否や必要な配慮について医学的意見を述べる休職・復職を最終決定すること(決定するのは事業者)
勤務態度の問題背景に健康問題がないかを医学的に検討する懲戒・解雇・人事評価の判断や、その根拠づくりへの加担
健康情報の扱い本人の同意を得て、または就業上の措置に必要な最小限の範囲で事業者に伝える本人の同意なく病名や詳細な病状を会社に開示すること
ハラスメント相談者の心身の状態を確認し、必要な配慮や受診を助言する事実認定や処分の判断(会社の相談窓口・調査体制の役割)

特に誤解が多いのは、「産業医が休職・復職を決める」という認識です。産業医が述べるのはあくまで医学的な意見であり、最終的に就業の可否や配置を決めるのは事業者です。逆に言えば、産業医の意見を聴かずに事業者だけで判断すると、医学的な根拠を欠いた決定になりかねません。役割を分けたうえで連携することが重要です。

もう一つは守秘義務です。医師には守秘義務があり、産業医が会社に伝えるのは「残業は当面控える」「重量物の取り扱いは避ける」といった、就業上の措置に必要な情報が中心です。病名や治療内容をすべて報告するわけではありません。この原則を経営層と管理職が理解していないと、従業員は「産業医に話すと会社に筒抜けになる」と感じて相談をためらい、早めに対応できる機会が失われてしまいます。

また、パワーハラスメント防止措置は2022年4月から、中小企業を含むすべての事業主の義務となっています。産業医は健康面からの助言はできますが、相談窓口の設置や事実関係の調査といった措置そのものを代わりに担うことはできません。この点も、あらかじめ社内で整理しておく必要があります。

メンタルヘルス不調と復職支援で産業医をどう活かすか

産業医の専門性が生きる代表的な場面が、メンタルヘルス不調と、休業からの職場復帰です。厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」は、メンタルヘルスケアを四つのケアに整理しています。本人による「セルフケア」、管理監督者による「ラインによるケア」、産業医などによる「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」、外部の専門機関などによる「事業場外資源によるケア」です。産業医は三つめの中心であると同時に、四つをつなぐ要の役割を担います。

職場復帰については、「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」が五つのステップを示しています。休業開始と休業中のケア、主治医による職場復帰可能の判断、職場復帰の可否の判断と職場復帰支援プランの作成、最終的な職場復帰の決定、職場復帰後のフォローアップです。ここで押さえたいのは、主治医の「復職可能」と、職場で実際に働けることは必ずしも一致しないという点です。主治医は日常生活を送れる程度に回復したかを中心に判断していることが多く、個々の職場の業務内容や通勤、人間関係までは把握しきれません。その差を埋めるのが産業医の役割です。

この構図は、身体のけがの場合も同じです。傷が治って日常生活に支障がなくなった段階でも、仕事で求められる握力や持続力、手先の細かな動きがまだ戻っていないことがあります。加えて、受傷した場面を思い出す不安や、職場に迷惑をかけたという負い目が、回復の歩みを遅らせることもあります。形成外科の臨床と並行してオンライン精神科診療にも携わるなかで、心の不調と身体の状態、職場の状況は切り離して考えにくいものだと感じてきました。身体の回復だけを見て「もう大丈夫」と判断せず、心の状態と職場の仕組みを合わせて段階的に戻していくことが、再休業のリスクを下げることにつながります。

復職の判断を産業医に依頼する前に、会社が準備したいこと

  • 復帰予定の業務内容を文書にまとめる:作業内容、勤務時間、通勤、身体的な負荷、対人業務の多さなど。産業医が「この職場で働けるか」を見立てる材料になります。
  • 主治医への情報提供依頼は本人の同意を得て行う:業務内容を添えて依頼すると、職場の実情を踏まえた意見を得やすくなります。
  • 段階的な働き方の選択肢を確認する:短時間勤務、業務の限定、残業の制限など、社内規程で取り得る措置を事前に整理しておきます。
  • 復帰後の面談日程を先に決めておく:復帰はゴールではなく、フォローアップの始まりです。

がんや持病などの治療を続けながら働く方については、「事業場における治療と仕事の両立支援のためのガイドライン」が参考になります。主治医、本人、会社、産業医が情報を共有し、通院時間の確保や業務の調整を計画的に進めるための考え方が示されています。内容は改訂されることがあるため、最新版を確認してください。いずれの場面でも、産業医に早い段階から関わってもらうほど、取り得る選択肢は広がります。

50人未満の企業や初めて選任する企業が押さえたいこと

常時50人未満の事業場には産業医の選任義務はありませんが、従業員の健康問題が起こらないわけではありません。むしろ人数が少ない職場ほど、一人の休業が業務全体に与える影響は大きくなります。小規模事業場向けには、産業保健の相談に応じる地域産業保健センターがあり、健康診断後の意見聴取や面接指導などで活用できる場合があります。利用条件は事前に確認してください。ストレスチェックの義務化も予定されているため、今のうちから相談先を確保しておくと安心です。

初めて産業医を選任する企業や、契約を見直したい企業は、次の点を確認しておくと協働が円滑になります。

  • 業務範囲の明確化:訪問頻度、面談の対象、緊急時の連絡方法、意見書の作成など、何を担うかを文書で決める。
  • 職場への理解:業種特有の健康リスク(化学物質、夜勤、重量物、運転など)を説明し、職場巡視で実際に見てもらう。
  • 窓口担当者の設定:人事労務または総務に、産業医との連絡役を決める。
  • 情報の取り扱いルール:健康情報を誰がどこまで扱うかを社内規程で定め、従業員に周知する。

頼りになる産業医とは、医学知識が豊富なだけでなく、現場の実情を知ろうとし、会社と従業員の双方が納得できる現実的な落としどころを一緒に考えてくれる医師です。そうした関係を築くには、会社の側からも情報を開き、遠慮せずに相談することが欠かせません。

経営者・人事労務担当者向け:産業医活用チェックリスト

自社の体制を点検するために、次の項目を確認してみてください。「いいえ」の項目が、改善の糸口になります。

  1. 事業場ごとの常時使用する労働者数を把握し、選任義務の有無を確認している。
  2. 産業医の業務範囲と訪問頻度が、契約書などの文書で明確になっている。
  3. 衛生委員会が開催され、産業医が実際に議論に参加している。
  4. 健康診断の結果について、産業医から就業上の意見を聴き、記録している。
  5. 長時間労働者の状況を把握し、面接指導につなげる流れが決まっている。
  6. ストレスチェックの集団分析を、職場環境の改善に活用している。
  7. 休職・復職の手順が社内規程で定められ、産業医面談が組み込まれている。
  8. 復職時に、業務内容を文書で産業医・主治医に伝える運用がある。
  9. 健康情報の取り扱いルールがあり、従業員に周知されている。
  10. 管理職が「産業医は診断・治療をしない」「最終判断は会社が行う」ことを理解している。
  11. 従業員が産業医に相談する方法を知っている(社内掲示・イントラネット等)。

まとめ:産業医を「置く」から「活かす」へ、次の一歩

産業医は、法令上の義務を満たすためだけに置く存在ではありません。働く人の健康と、会社が健やかに続いていくことをつなぐパートナーです。主治医が病気を治療し、産業医は「働くこと」との接点を整える。この役割分担を理解することが、産業保健を機能させる第一歩です。

身体がけがや病気から回復しても、心の準備や職場の受け入れ態勢が整っていなければ、本当の意味での復帰にはなりにくいものです。反対に、身体・心・職場の仕組みの三つがかみ合えば、多少の制約があっても、その人らしく力を発揮し続けられる可能性が広がります。Saluviaという名前には「より健やかな道を選べるように」という思いを込めています。産業医は、その道を会社と働く人がともに選ぶための案内役でありたいと考えています。

まずは次回の産業医訪問の際に、上記のチェックリストを一緒に確認する時間を15分だけ設けてみてください。それだけでも、自社にとって産業医が何をしてくれる存在なのかが、具体的に見えてくるはずです。なお、従業員ご本人に気になる症状がある場合は、自己判断せず、主治医や産業医、医療機関に早めにご相談ください。

よくあるご質問

産業医と普通の医師(主治医)の違いは何ですか?

主治医は病気の診断と治療を行います。産業医は診断・治療ではなく、働く人が健康を損なわずに就業を続けられるよう、職場環境や働き方について事業者に医学的な助言を行います。助言の相手に会社も含まれる点が大きな違いです。

従業員が何人から産業医の選任が必要ですか?

常時50人以上の労働者を使用する事業場に、産業医の選任義務があります。人数は会社全体ではなく事業場ごとに数えるのが基本です。具体的な要件や期限は、最新の法令や所轄の労働基準監督署で確認してください。

産業医に話した内容は会社に伝わりますか?

医師には守秘義務があります。産業医が会社に伝えるのは、本人の同意を得た内容か、就業上の措置に必要な最小限の情報が原則です。病名や詳しい病状を本人の同意なく会社に伝えることは、原則として行いません。

本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の診断・治療・法的判断に代わるものではありません。法令・指針は改定されることがあるため、最新の情報は厚生労働省等の公表資料をご確認ください。症状のある方は、主治医・産業医・医療機関にご相談ください。

家城 英佳

AUTHOR

家城 英佳形成外科医・産業医/合同会社 Saluvia Medical 代表社員/株式会社Medi Face 執行役員/医療法人鳳應会 理事

北海道大学卒業後、形成外科へ進み、慶應義塾大学病院をはじめとする医療機関で臨床経験を積む。形成外科の臨床と並行してオンライン精神科診療にも従事。「治療のその先」にある働く毎日を、産業保健の立場から支えています。

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